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今回、12月、金の星社から「秘密のチャットルーム」というタイトルで翻訳出版を実現できることになりました。原作者はジーン・ユーアというイギリスの女流児童文学作家です。
彼女のことを知ったのは二年半前、2004年3月のことでした。
バベル翻訳大学院の一年目を終えて、修了作品をどうしたらいいかわからずにいたときです。自分で探すことに限界を感じて、苦肉の策でイギリスの知人に助けを求めました。
なにかいい作品はないだろうか、と。偶然にも知人の友人が児童文学作家でした。
知人はその作家におすすめの作品をあげてもらいました。
その中の一冊がジーン・ユーアのSee You Thursdayという作品でした。一行書かれたメモには「盲目の青年と少女の愛」とありました。もうこれしかない、と直感しました。でも、20年以上前の作品でイギリスでも手にはいらないものでした。そうなるとよけいに思いが募り、別のイギリス人の友人に相談しました。彼女は親切にも古本を見つけて送ってくれました。修了作品の条件に「できるだけ日本で翻訳されてない作品」というのがあったので、あれこれ調べたのですが、日本で翻訳出版された形跡はなく、やれやれと思って訳し始めました。インターネットでジーン・ユーアのサイトを見つけ、「あなたの作品を翻訳しています。出版してもいいですか」とメールを送ったら、「その本だけは日本で翻訳出版されています。ほかの本はどれも翻訳出版されてないから、どれでも訳していいです」と返事がきました。ショックでした。翻訳出版されたその作品が20年前に絶版になっていて国会図書館でしか手に入らないとしても同じ作品を新たに翻訳出版するのは難しいと思ったのです(それでも、あがいて出版の方法をさぐったりしましたが)。インターネットで調べてもヒットしなかったのは、「ジーン・ユーア」というふうに名前が訳されていなかったからではないかとあとになって思いました。
そのメールが彼女とやりとりを始めたきっかけでした。とにかく訳し始めていたこともあって、修了作品はその作品で許していただきました。
翻訳大学院を修了するときには、「ジーン・ユーアの作品をシリーズで訳すのが夢です」とお話したことを覚えています。しかし、どうしたらそれを実現できるのか手段も方法もわからないまま、そして、どうしたら翻訳家として認めてもらえるのかわからないまま、修了後はバベルのトランスメディアセンターからシノプシスの仕事をいただいていました。十本近く書いたと思います。
その間もあがいてはいました。CO−PUBのコンテストに挑戦したり(何度か入賞させていただき、共訳に参加したりもしました)、ほかの翻訳学校のコンテストに挑戦したりしました。
転機が訪れたのはちょうど一年前の十二月、大学院のカウンセラーに、「今度は自分のためのシノプシスを書いてみたらどうですか?」と言われたときです。しかし、どんな本のシノプシスをどんな出版社に送ればいいのかもわかりません。でも、ジーン・ユーアの作品は何作か読みためていました。読めば読むほどジーン・ユーアが好きになってもいましたので、カウンセラーに言われるまま、毎月一本ずつシノプシスを書き、児童文学を出版している十数社に送ることにしました。ジーン・ユーアの作品はどれも、おとなですら生きにくい世の中を苦しい思いをしながらけなげに生きている子どもが主人公です。だから、彼女の作品で勇気づけられたり励まされたり、生きる力をもらったりする子どもがたくさんいるに違いないとわたしは確信していましたし、今もその気持ちは変わりません。わたしもイギリスの子どもと同じく彼女のファンなのです。
ところが、実際シノプシスを送ってみると、けんもほろろ(とはこういうことかも、と実感しました)に却下されたり、なしのつぶてだったりで、めげることのほうが多かったです。「こんなこといつまでやっていてもらちがあかない」と思ったこともしばしばです。そのたびに、カウンセラーに、「編集者の心をつかむシノプシスを書きなさい。編集者は忙しいのです。読んでもらう工夫をしなさい」と叱咤激励されました。
もういい加減いやになってきたころ、なんだか少し手ごたえがありました。「こういうタイプの作品は今は売れない」とか、「二週間たっても連絡がなければボツだと思ってください」とか、たとえ否定的な反応でも編集者の名前で返事やメールをくださる出版社がいくつか出てきました。ある出版社は「出版傾向が違うのでジーン・ユーアは出版できないけど、うちの会社のリーディングを引き受けてもらえませんか」と言ってきました。もちろん、引き受けました。その会社のリーディングはいまのところ3本書いています。1本は出版見送りとなり、あとの2本は現在検討中です。それからしばらくして、別の出版社がわたしの送ったシノプシスに対して、「○○は翻訳してあるんですか。興味があるんだけど」と言ってきました。翻訳はしてありませんでしたが、「すぐに全訳します」と約束して3週間で訳しました。「訳してもらっても検討の結果出版はしないかもしれない」と言われましたが、それでも訳してみないことには始まらないのでやってみました。今その作品はやはり検討中です。
それから一か月たった今年の8月31日わたしの54回目の誕生日に、金の星社の編集者の方からSecret Meetingの翻訳出版が決まったと連絡を受けました。「12月には出版したいので、翻訳はしてありますか」ときかれましたが、やはり翻訳はしてありませんでした。それで、「一か月で完成させます」と約束して、きっちり一か月で訳しました。その前に3週間で訳した経験が自信になっていたと思います。
この一年早かったような遅かったような気がします。でも、まだまだなのです。わたしの頭の中には「いつも仕事があるのがプロ」というカウンセラーの言葉が響いています。わたしの場合、今回やっとひとつ出版されることになっただけなので、まだプロとはいえません。もっともっとジーン・ユーアを宣伝して、わたしを翻訳者に使ってもらわなければならないのです。ジーン・ユーアに「あなたの作品の紹介に全力を尽くします。できるだけたくさん翻訳出版してもらえるようにがんばります」と宣言した手前、がんばらないわけにはいかないのですが、あちこちの出版社が次々翻訳出版の決定をしてくれるということは考えにくく、道は果てしなく続くと思っています。でも、何もしないでいては先に進まないし、ここで止まるわけにもいかないので、これからもシノプシスを送り続けるしかないと思います。
知人のおかげでジーン・ユーアと出会うことができ、カウンセラーのおかげでシノプシスを送り続けることができ、金の星社の斎藤編集長によってシノプシスが日の目を見たおかげで今回の翻訳出版が実現しました。ありがたいことだと思います。ようやく一歩目を歩き始めたばかりなので、これからが正念場です。わたしには「この道しかない」と思ってがんばります。
ただ、その前にわたしにはしなければならないことがあります。それは性格改造です。教師をしてはいましたが、わたしは人前に出ることが苦手です。翻訳家は家にこもって、だれにも見られずにひたすら本と向き合っていればいいと思っていました。これならわたしの性格にぴったりだと。でも、この一年でそうでないことがわかりました。翻訳家として認められない限り、そういう生活はないということです。自分を認めてもらうには、自分を売り込むことをしなければならないのです。わたしのもっとも苦手とするところです。「売り込むほどのものがわたしにはあるのだろうか?」という後ろ向きの気持ちがいつもあるからだと思います(ジーン・ユーアの作品の主人公と同じで自分に自信がないのです)。でも、売り込まないとわたしという存在はどこにも知られていないのです。売り込むには「押しの強さ」が必要です。わたしの場合それがなくて、一生懸命一緒に売り込もうとしてくださるカウンセラーには歯がゆい思いを何度もさせています。でも、もう列車は動き出しています。自分から乗り遅れてはいけないのです。それこそ「清水の舞台から」飛び降りたいと思います。きょう、ここでみなさんに宣言します。わたしはこれから自分から前に出る勇気をもちます。自分の人生がかかっているのですから。
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