素晴らしき哉、翻訳業! ハクセヴェルひろ子さん

ハクセヴェルひろ子

ビジネス翻訳に従事。バベル翻訳大学院にてMST(翻訳修士号)を取得。世界マーケットでビジネス翻訳に従事する傍ら、翻訳評価、翻訳ビジネスの発展向上をめざしている。Proz.com Certified PRO認定会員 1999年登録。

 昨年の9月下旬、私は女性の社会進出に関するレポートを翻訳しました。英文のレポートと一緒に渡されたのは、日本の女性が結婚して子供が生まれた後、働き続けるのがいかに難しいのか、あるいはいったん職場を離れると再就職がいかに難しいのかを延々と述べた日本語の資料。そのレポートを翻訳していくうちにその内容の深刻さとは裏腹に、不謹慎かもしれませんが幸せな、満たされた気持ちになっていきました。翻訳業って何て素晴らしいんだろうと…。

 というのは、その素晴らしさを痛感した出来事があったばかりだからです。ここ数年、夏休みは3週間とって日本に帰国していました。ところが、昨年は事情があって更に2週間滞在することになり、日本から主な取引先に連絡を入れました。その時点で以前のように仕事を発注してもらえることを期待するのを止めました。さすがに5週間も休んだあとは翻訳会社も呆れて仕事が来ないのではないかと諦めていましたが、トルコに帰ってみたらありがたいことに2週間で休暇前のペースに戻ったのです。そして、休暇ボケのなまった脳味噌に響いたのがこのレポートの翻訳です。

 このレポートを翻訳後、なぜフリーランスの翻訳業が素晴らしいのか改めて考えてみました。まず、自分の生活サイクルを仕事に合わせて完全にカスタマイズできることです。一般の人が組織に属して働く場合は、組織の時間枠に自分の生活を合わせていかなければなりません。そこで、特に女性は結婚して子供が生まれると、組織のサイクルに自分の生活を合わせるのが難しくなります。(このレポートのテーマのひとつがこの件でした。)一方、翻訳業というのは、納期までに翻訳成果物を納品するというのが最大の使命ですので、その間どのように仕事を進めようが完全に翻訳者の裁量に任されています。特に家庭を持つ女性の場合、仕事の合間に家事や買い物を済ますことができます。また、子供たちが小さかった時は、怪我をしたので迎えに来いと幼稚園や小学校から連絡が来たり、朝起きたら熱があって学校を休ませなければならないときは、近くの診療所に空いた時間を狙って連れて行き、処方箋をもらって薬を買わなければなりませんでしたが(トルコの学校は病気で休ませる時は診断書が必要です)、仕事の合間に対応できました。仕事の遅れは、睡眠時間を多少削れば十分に取り戻せます。

 次に、自分の裁量で仕事量を加減することができます。私は上の子供が小学校に入学するまで専業主婦でしたので、子供たちがもっと小さかった頃の仕事と家庭を両立させる苦労をせずにすみましたが、それでも小学校の低学年の頃はまだいろいろ手がかかったので、その頃既に始めていた仕事のとPSTの学習時間を確保するのが大変でした。仕事量が多くなってきたのは、子供たちが中学生になって、仕事に没頭できる時間が増えてからです。その頃は「来る仕事は拒まず」の姿勢で、打診された仕事はほぼ引き受けました。夏休みを取る以外はほとんど休みがない状態でしたが、その間に自分の得意・不得意な分野、翻訳に要する時間、体力と気力がどこまで持つのかがわかって有益でした。現在は、その頃のようにあまり無理できませんので、仕事を詰め込み過ぎないように気をつけています。

 三番目に、老若男女の差別がなく、完全に実力で勝負できることです。「あなたは女性だから、単価は男性のXX%です」とか、「あなたの年齢では出せる仕事はありません」といった、性別や年齢で差別されたフリーランスの翻訳者はおそらくいないのではないかと思います。翻訳業では当たり前のことですが、前述のレポートを翻訳していて、それがどんなに特殊なことなのかを改めて痛感しました。翻訳業では、男性あるいは女性限定の仕事というのも存在しないかもしれません。もちろん、女性向きの仕事(たとえば、化粧品とか健康産業)というのはあるかもしれませんが、それを男性が訳してはいけないと決まっているわけではありません。

 四番目に、仕事をしながら新しい知識が得られることです。翻訳会社から渡される原稿を翻訳しなかったら永久に知らなかったであろう世の中の仕組みや技術を、仕事を通じて学びながら知的好奇心を満たせるという仕事は世の中にそれほどあるものではありません。

 以上、翻訳業の利点をとりあげましたが、それでは私も夏休みを5週間とろう、と考えている方はちょっと待って下さい。自分で言うのもなんですが、5週間の穴を埋めるために私は普段かなり努力しています。たとえば、突然入ってくる「超特急」の仕事にはできるだけ対応しています。今日の仕事はこれで切り上げて夕飯の支度をしようしているところに、「(昨日発注し忘れてしまったので)今日中にXXXXワードお願い」という米国から電話で依頼された仕事を引き受けて深夜まで仕事をするために、その日の夕飯は家族にテイクアウトの食事で我慢してもらったり、あまりレートがよくなくて他の翻訳者がやりたがらない、他の翻訳会社から・ヒ頼されるプルーフリーディングの仕事もできるだけ引き受けています。つまり、その翻訳会社にとって欠かせない存在になれるように努力しています。これは、ちょっと間違えば「便利屋」に成り下がってしまう危険性がありますが、主張すべきことは主張しながら、いかにその翻訳会社に食い込むかという自分を売り込む醍醐味を楽しんでいます。

 また、翻訳業には家族の協力も欠かせません。私が忙しいときは今は進学のために下宿している娘が食事の支度や掃除を進んで手伝ってくれました。また、専業になったばかりの時は、仕事に必要な時間の見積りを誤ってしまい、週末に車で4時間かかる夫の実家に子供たちと夫に帰省してもらって、その間に集中して仕事を片付けたこともありました。私の仕事を陰ながら応援してくれている家族があって初めてこの仕事を続けていける、ということを改めて実感しました。家族には大変感謝しています。
 今後歳をとるにつれて、仕事の量は減っていくかもしれませんが、自分のライフサイクルに合わせて質の充実を目指しながら、できるだけ長くこの仕事を続けていきたいと思います。