世界を混迷から救うカギは翻訳にあり!(2)

第2回 明治日本の経験から考える

施 光恒(せ・てるひさ)
九州大学大学院比較社会文化研究院准教授法学博士

 前回のコラムでは、西欧の近代社会の成立を可能にしたのは、翻訳だという話をしました。翻訳の作業を通じて、各国の多数の人々にとってなじみやすく、また自分たちの能力を磨き、発揮しやすい環境が整備されたことが、活力ある近代社会の成立を可能にしたと述べました。
 お気づきの読者も多いと思いますが、翻訳が近代社会を作ったという事情は、日本にも当てはまります。いや日本こそ、翻訳を通じ近代化を、世界で最も意識的に成し遂げ、成功させた国だと言ってもいいかもしれません。
 今回のコラムでは、明治の日本の近代的国づくりの経験を見ながら、翻訳の意義についてさらに考えたいと思います。 

● 明治初期の「英語公用語化論」

 「これからの日本が世界に負けない国づくりをするには、英語を重視しなければならない。初等教育から学校では英語を教授言語とし、政府機関で用いられる言語も英語にすべきである」。
 これはある有力政治家の主張ですが、最近の報道から引いたものではありません。およそ140年前の1870年代、つまり明治の初め頃に展開された議論です。今の言葉でいう「英語公用語化論」の先駆けと言えるでしょう。
 明治の「英語公用語化論」の急先鋒だったのは、のちに初代文部大臣もつとめた薩摩出身の政治家・森有礼(もり・ありのり、1847-1889)でした。
 森有礼は、次のように考え、近代的な国づくりは日本語ではなく、英語を公用語として行っていくべきだと主張しました。
 「日本の近代化は日本語では難しい。近代化して欧米列強に負けない国づくりをしていくためには英語で国づくりを進めていかなければならない。政府内では日本語の使用をやめ、英語で政務万事を執り行うべきだ」。
 森有礼は、なぜこうした急進的な主張をしたのでしょうか。「小学校から英語を正式教科にしよう」、「企業内の公用語は英語にしよう」、「大学の授業もなるべく英語でやろう」といった現代の英語化推進論に比べると、森有礼の主張は、はるかに深い懸念と危機感に基づいており、理解しやすい部分があります。
 例えば、明治初期の日本語には、欧米列強のような近代国家を建設していくために必要な語彙が、まだまったくといっていいほど存在していませんでした。このコラムでもよく使っている「社会」「近代」「経済」といった言葉も明治に入ってから作られた言葉であり、それ以前には存在しませんでした。
 欧米列強に日本が文明国だとみなされず不平等条約を結ばされているなか、明治新政府には、欧米でも通じる法体系を確立し、政府の各組織を整えていくことが求められていました。近代日本の体制を早急に整えらなければ、日本も他の非欧米諸国のように植民地化されてしまうかもしれない。早急な近代化のためには、欧米で用いられている近代社会の諸相をあらわす概念を手っ取り早く扱えるようにしなければならない。森有礼の主張の背景には、そうした強い危機感があったのです。森有礼は、日本語を公用語として使用することを諦め、公の言語を英語に統一することで、早急な近代化を成し遂げよう。そう主張したのです。
 

● 外国人から上がった反対論

 森有礼は、日本は英語で近代化すべきだという構想を、様々な場面で主張しました。欧米への留学を通じ、英語を努力して身につけた彼は、欧米の言語学者などの知識人に自分の見解を書いた英文の手紙を送り、彼らの意見を求めるなどしました。
 ところが、森有礼からの手紙を受け取った欧米の識者たちは、彼の急進的主張に反対する者が多かったのです。例えば、イェール大学教授のウィリアム・D・ホイットニーをここでは取り上げてみましょう。ホイットニーは、アメリカ言語学協会の初代会長を務めた著名な言語学者でした。
 森有礼は、ホイットニー宛の書簡で次のような主張を展開していました。
 日本語は文法的に不十分な言語である。語彙も少なく、知的な概念は漢語、つまり中国語の助けを借りないと論じることができない。したがって、日本語は近代化を成し遂げるには向かない不完全な言語である。このように記しました。
 ところが意見を求められた当のホイットニーは、英語による日本の近代化について否定的な回答を示したのです。おおよそ次のようなものでした。
 母語を棄て、外国語による近代化を図った国で成功したものなど、ほとんどない。英語を日本の「国語」として採用すれば、まず新しい言葉を覚え、それから学問をすることになってしまい、時間に余裕のない大多数の人々が実質的に学問をすることが難しくなってしまう。その結果、英語学習に割く時間のふんだんにある少数の特権階級だけがすべての文化を独占することになり、一般大衆との間に大きな格差と断絶が生じてしまうだろう。
 さらに、ホイットニーは次のように述べ、森有礼に日本語による近代的国づくりを勧めました。

 「たとえ完全に整った国民教育体系をもってしても、多数の国民に新奇な言語を教え、彼らを相当高い知的レベルにまで引き上げるには大変な長い時間を要するでしょう。もし大衆を啓蒙しようというのであれば、主として母国語を通じて行われなくてはなりません」。

 加えてホイットニーは、日本文化の「進歩」のなかには、「母国語を豊かにする」ことが含まれなければならないと説きました。豊かになった「国語」こそ、日本の文化を増進する手段であり、それが一般大衆を文化的に高めることにつながると述べたのです。

● 馬場辰猪の反対論

 日本国内からも森有礼に対する反論が提出されました。なかでも、土佐藩出身で自由民権運動でも活躍した思想家・馬場辰猪(ばば・たつい、1850-1888)による反論は、現代の目から見ても非常に説得力があるものです。
 馬場辰猪は、土佐藩や新政府の留学生としてイギリスに留学した経験を持ち、英語が達者でした。馬場辰猪が森有礼の「英語公用語化論」に反対したのは、ロンドン在住のときで、その方法はとても面白いものでした。馬場は、英語で日本語の文法書を著し、イギリスの出版社から出版したのです。
 前述のように、森有礼は、日本語にはまともな文法がないと批判していました。馬場はこれに反発し、日本語の文法を英語できちんと説明することによって、日本語にも体系的な文法があるぞと実際に示して見せたのです。
 このとき馬場が出版した『日本語文典』(An Elementary Grammar of Japanese Language: With Easy Progressive Exercises)の序文には、出版の意図とともに、森有礼の「英語公用語化論」に対する批判が展開されています。馬場の主張は、主に以下の四点でした。
 第一に、英語学習には大変な時間がかかり、若者の時間の浪費につながりかねない。英語は日本語と言語学的に大きく異なる言葉である。そのため、日本人にとって英語学習は非常に骨が折れ、時間がかかる。学ぶべきことの多い若者の時間が無駄に費やされる恐れがある。
 第二に、英語を公用語にすれば、国の重要問題を論じることができるのは一握りの特権階級に限られてしまう。英語学習は困難で多くの時間を必要とするため、英語に習熟できるのは国民のごく一部の有閑階級に限定される。日々の生活に追われる大多数の一般庶民が英語に熟達するのは非常にまれだろう。したがって、国の諸制度が英語で運営されたり、政治や経済に関する知的な議論が英語でなされたりするようになってしまえば、国民の大多数は、天下国家の重要問題の論議に参加できなくなってしまう。近代的な国づくりにごく一部しか関われないことになる。これでは、国民すべての力を結集し、欧米列強に伍していく国づくりを行うことなど夢のまた夢だ。
 第三に、英語公用語化は社会を分断し、格差を固定化してしまう。国の重要問題から庶民を切り離すこととなるだけではなく、英語が話せるか否かが経済的格差につながり、豊かな国民と貧しい国民との間の断絶を生む可能性がある。
 第四に、英語を公用語化すれば、意識面でも国民は分断され、一体感が失われてしまう恐れがある。
馬場は、当時の英領インドを例にあげます。インドでは、英語を話すインド人と、インドの各言語を話すインド人との間には、「共通の思想も感情も存在しない」状態でした。母語による共通の国民教育を実施する方法をとらない限り、インドで見られるような国民の一体感の欠如は日本でも必ず生じるでしょう。馬場はそのように論じました。
 以上の四つの問題点を指摘したうえで馬場は、次の言葉で文章を締めくくりました。

 「すでにわれわれの掌中にあり、それゆえわれわれすべてが知っているものを豊かで完全なものにすべく務めるほうが、それを捨て去り大きな危険を冒して全く異質の見知らぬものを採用するよりも望ましい、とわれわれも考えるのであります」。

● 翻訳を通じて日本語を豊かにするという選択

 馬場は、自ら日本語の文法書を英語で出版し、日本語の文法には外国人にもきちんと説明できるほど、しっかりした体系があることを示しました。そのうえで、馬場は、欧米の諸言語と比べて近代的国づくりのために現状で足りないものは「語彙」に過ぎないと理解しました。そうであるならば、日本語を捨て去り、英語で近代化する必要などありません。欧米諸語から積極的に翻訳し、日本語の語彙を増やし、日本語を「豊かで完全なもの」にしていけばいいと考えたのです。 
                                                    
 馬場のこうした議論と認識を同じくする人々が創意工夫を重ね、やがて近代の日本語に必要な語彙を盛んに生み出す活動を展開することになっていきました。森有礼の提案とは別の道を選択することとなったのです。そして代わりに行われたのが、欧米諸語からの翻訳を懸命に行い、新しい語彙や観念を「土着化」する、つまり日本語のなかに適切に位置付けていくという作業でした。
 大正生まれの国文学者で、国会図書館の副館長も務めた齋藤毅は、日本語による近代化がうまく行った事情について次のように記しています。

 「新しい学術上の知識や文物制度に関する知見を、限られた階層の独占にゆだね、教育というものをひとにぎりのエリートのものと考えるかぎり、日本語の改良とか開発ということは、まったく不要なことであったかもしれない。だが、科学技術や哲学や宗教や文物制度を万人の頒ちもつべきものと考え、また日本のできるだけ広範囲のひとびとが、高いレベルの教育を受けるべきであると考えるかぎり、日本語を、それに堪えるものに改良しなければならない。(略)
 一見迂遠にみえるけれども、そうすることが、日本の文運を隆昌に赴かせ、日本の独立と繁栄をもたらす最も近い道であった。新しい文物と学術上の知識が、閉鎖的な階層に独占されなかったということが、よかれあしかれ日本の今日の繁栄を招いたということは、おおむね肯定してよいであろう」(『明治のことば』講談社、1977年)。

● よりよき世界秩序と翻訳

 振り返ってみると、言語面から見た日本の近代化は、前回のコラムで見た西欧の近代化ととてもよく似ていることがわかります。西欧諸国は、ラテン語という「普遍」だと思われていた言語をそれぞれの母語に翻訳しました。そして、知的な観念を自分たちの言語になじみやすいかたちで取り入れていくこと、つまり「土着化」することを通じて、各国の言葉で運営される公共空間を作り出し、そこに多くの人々の力が結集され、近代化を成し遂げました。
 明治日本の場合も同様です。まず、「普遍」的で「文明」的だと思われた英語など欧米の言葉を日本語に徹底的に翻訳し、その概念を適切に位置付けていくことによって日本語自体を豊かにしました。そして、一般庶民であっても少し努力すれば、世界の先端の知識に触れられるような公共空間を形成しました。これによって、多くの人が自己の能力を磨き発揮し、参加することのできる近代的な国づくりが可能となり、非欧米社会で初めて近代的国家を建設できたのです。
 前回のコラムの冒頭で述べたように、現在は、過去20年以上続いてきた、グローバル化の波が各地で大きな行き詰まりを見せている時代です。グローバル化とは、社会的なルールや制度、ひいては言語までを、なるべく共通のユニバーサルなもの(普遍的だとされるもの)にし、ヒト、モノ、カネの国境を超えた移動をできるかぎり推し進めようとする動きです。
 日本も、1990年代後半からグローバル化路線に乗り、いまなおグローバル化を推進しようとしています。「構造改革」を合言葉に様々な法律や制度を「グローバル・スタンダード」(その実、アングロサクソン(米英型)・スタンダードにすぎないのですが)に合わせるために変革してきました。ここ数年間は、政府は、グローバル化推進の言語面での現れとしての英語化政策に力を入れています。小学校からの英語正式教科化や大学の授業の大幅な英語化などです。民間でも、英語を社内公用語にしようという日本企業の動きもしばしば耳にします。
しかし、こうしたグローバル化・英語化の推進は、非常にまずい帰結をもたらすと予測できます。馬場辰猪ら多くの明治の先人が懸念を表明していたような望ましくない帰結です。
 たとえば、「政治や経済に積極的に参加できる人々はカネや能力や時間(余暇)を有する特権的な人々に限られてしまう」、「英語が使えるか使えないかによって経済的な格差も生じ、格差社会化が進む」といった帰結です。
さらに「格差社会化の進展に伴って、日本人という国民の一体感も失われていく」恐れもあります。
 グローバル化を推し進めようとする人々(グローバリスト)は、少々頭でっかちで単純だと言わざるを得ないものの見方をします。ルールや制度、言語などを何らかの共通のものに統一していけば、日本を含む世界中の人々は、そうした共通のものに容易になじむことができ、そのもとで、いきいきと活動できるようになると想定しているからです。
 しかし、これは現実的ではありません。世界には、様々な言語があると同様に、多様な文化が存在しています。そうした文化的多様性を軽視し、世界を一つのルールや制度、言語に押し込めようとするグローバル化の動きは、近い将来、格差拡大や民主主義の機能不全(エリートの利益に偏った政治)、人々の分断といった問題をさらに深刻化させるでしょう。
 現行のアングロサクソン的グローバル化の代替案を考える必要に世界は迫られています。この代替案を考えるときに、大きなヒントを与えるのが「翻訳」です。つまり、世界が文化的に多様であること、そして人々は各々生まれ育った言語や文化の影響を多かれ少なかれ受けること、といった事実を冷厳に見つめ、そのうえで、安定的で望ましい世界秩序のあり方を考えていく際の導きの糸を翻訳の理念は含んでいるのではないでしょうか。

施 光恒(せ・てるひさ)

1971年生まれ。九州大学大学院比較社会文化研究院准教授(政治学)。
英国シェフィールド大学大学院、慶應義塾大学大学院などで学ぶ。博士(法学)。
著書に『英語化は愚民化』(集英社新書、2015年)など。